BANAPA通信

表参道にある小さなギャラリーオフィスで起こる
日々をつづるブログ

1964→2020

 

社会に出て間のない若者だった頃

1964年生まれです、

そう自己紹介すると、

十中八九「東京オリンピックの年だね」

と答えが返ってきたものでした。

 

特に私の父はその事に思い入れが強く、

ちょっとした1964東京五輪グッズコレクターでした。

そんな父も一昨年亡くなります。

食道がんでした。

 

病気が発覚した当時、

離れて暮らしていた両親を

私のもとへ呼び寄せ、

介護生活が始まりますが、

その頃、ちょど五輪ボラの募集があり、

2020東京大会に参加する姿を

父に見せてあげようと、

応募を決めたのでした。

 

自分の余命の永くない事を悟っていた父も、

そのオリンピックまでは

生きる事を目標にするようになりますが、

残念ながら間に合わなかった訳です。

 

私は今、

ボランティア活動の初日に向かっています。

自宅を出る時からユニフォームで、

と言われているので、

大江戸線の中でたいそう浮いています(笑。

心配した反対派からの中傷も受けず、

かと言え割と冷ややかな目多数の中、

築地市場跡へと向かっています。

 

改めて思うのです。

オリンピックは誰のものなのか。

自分なりのその答えを、

掴んできたいと思います。

 

2021.7/10 am7:15記

written by 太田

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