BANAPA通信

表参道にある小さなギャラリーオフィスで起こる
日々をつづるブログ

sacrifice

太田です。

若い電通社員が、過労を苦に自殺したという

ニュース。いまだ記憶に新しい方も多いので

はないだろうか。昨年のクリスマスの朝。そ

の女性の母による手記が、新聞朝刊の一面を

覆った。とてもせつなく、そして深く考えさ

せらるものだった。

もがき苦しむ日々のなか、絞り出した結論は

愛娘の死を契機に《働き過ぎ》の世の中を見

直して欲しい。という訴えだった。

これには私もただうつむくしかなかった。労

働時間など知ったことではない。という悪し

き習慣が根強いこの業界に身を置く者として

自戒を込めて一言申し上げておきたい。

 

かつて、クリエイティブ業界で働くコピーラ

イターやデザイナーといったクリエイターは

誇り高き職人だった。日々鍛錬を怠らず社会

的にも特別な技能を身につけた技術者として

丁寧に扱われていた。

しかし。幾多の不景気の波を乗り越えるうち

に、市場は小さくなってしまった。少なくな

った仕事を取り合い、取ったら失いたくない

がために、やがてどんな理不尽な要求も、言

いなりに応えて甘やかす風潮が、一部にすっ

かり蔓延してしまった。

その結果が《お客さまは神さま》状態だ。経

験も知識も乏しい若手でさえ、ベテランのク

リエイターに対して、平気で無茶を言いつけ

る。お金を払う側は、何を言いつけても、何

度やらせても構わないのだと、勘違いさせて

しまった責任の一端は、我々クリエイター自

身にもあるだろう。

それでも、こなすのは生身の人間である。頼

む側に悪意がないのは承知しているが、その

人間の大切な時間と、その人間が修練を積み

重ねて身につけた、貴重な技と労力を、何気

ない一言で無尽蔵に食い散らかしているのだ

ということに、少しは想像を巡らせてもらえ

ないものかと訴えたい。

 

しかし、そういう自分も、知らず識らずのう

ちに、こうした事態の《神さま》になってい

たのだと気づかされた。

例えば。宅配便で再配達を利用するケースは

全配達の2割以上にもなるという。自分で日

時を指定しておきながら、不在にしてしまっ

たことが、正直、何度かある。宅配従事者の

ご苦労に、下げた頭が上がらない。

また例えば。正月三が日のデパートの初売り

に電車に乗って行き、ついでに外食し、帰り

にコンビニに寄る。そのために、どれだけの

人々が正月を休まず働いてくれたのか。頭で

は分かっていたつもりだが、感謝の気持ちが

足りていなかったと、つくづく思う。ちょっ

と段取りが悪かったぐらいで「気が利かない

な」と、正月返上で働いてくれている人に対

して、不満さえ持った自分が恥ずかしい。

便利な世の中である。色んなところで助かっ

ている。けれど、それは決して当たり前のこ

とではなく、誰かしらの貴重な時間と労力に

よってもたらされているのだ、ということに

自分こそ、もっと想像を巡らせなければなら

ないではないかと、今は思う。

 

冒頭の一件。電通に、責任は当然ある。本人

の資質の問題もなくはないだろう。けれど私

を含むその他の人間に、まったく責任はない

のだろうか。彼女の死を「私は関係ありませ

ん」と、全ての人が言い切れるだろうか。無

自覚のうちに誰かの時間を奪ったり、追いつ

めたりはしていないだろうか。

ひとつの命が消えてしまった事実は、あまり

に大き過ぎる。せめて、この事をきっかけに

《人を思いやる》風潮が、広く浸透すること

を願うばかりだ。

written by 太田

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